今日の更新2ページ目です
ファミリーマートさんのツイより
ガーナシリーズ菓子を含む
対象商品2品ご購入で
羽生結弦 選手 A4サイズ
クリアファイルが
1枚もらえる!第2弾‼️
1/15(火)7:00〜なくなり次第終了💦
第2弾は私服の #羽生結弦選手
A4サイズクリアファイルが
貰えちゃいます😁💕
※ファミマ公式からのお知らせ〜
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平昌OPの時の動画。
こちらです!!(海外より)
-----------------------------------
<過去の記事より>
まなざしは怖い
最初にスケートとあまり関係のない話をします。
個人的に、まなざしほど怖いものはないと思っています。
おそらく誰にでも経験のあることと思いますが、たとえばプレゼンを
するときにみんなが自分を見ている。何十、何百もの眼がこちらを向いている。
むろん、場合によってはこのまなざしを自分が独占して支配できるわけですから、
快感をおぼえることもあるでしょう。けれども、他者のまなざしが自分に向けら
れているということは、やはり怖いことです。
しかもまなざしは厄介なことに、いったん「見られた」と自分が思ってしまったが
最後、たとえ自分に視線を向ける人が現実にはいなくても、
「もしかしたらまた見られているのではないか」という意識が残ります。
この意識は「見られる」ことと本質的に同じです。
こんな書き方をすると、
「それは被害妄想とか視線恐怖症という病気じゃないのか」と言われそうですが、
もちろん病的であるかないかの程度はあります。それでも人は多かれ少なかれ、
意識的にせよ無意識的せよ、根源的なところでまなざしへの恐怖を抱いています。
まなざしと規範
さっきから「まなざしは怖い」とわめいてばかりいますが、本題はここからです。
他者のまなざしは自分を評価します。自分もまた他者をまなざしで評価します。
この評価は日々何度となく、なかば無意識のうちにくり返し行われることです。
こうして反復された評価は、価値の体系、価値観を作り上げます。
こうした価値観が多くの人に共有されると、それは規範になります。
「男らしさ」とか「日本人らしさ」といった表現は、こうした規範をよく
反映しています。
さて、これが日常生活ではなくアスリート、こと世間の注目をあつめる
スターアスリートとなるとどうなるか。
アイドルのように扱われるアスリートは、当然世間からまなざしの集中砲火を
受けます。もちろんそれが気分の昂揚をもたらす場合もあります。
ただし、世間がまなざしをアスリートに向け、評価するという行為は、
その反復のたびに規範や偶像を作り上げます。
スケートを例にとりますと、たとえば羽生結弦選手なら彼の過去の言動の
断片を評価、構成して「羽生結弦らしさ」という規範ができあがります。
そうして出来た規範は、必ずしも羽生選手自身の等身大の自己像と同じとは
限りません。何しろ、羽生選手のあずかり知らぬところでできあがった
規範ですから。
これは浅田真央選手や安藤美姫さん、高橋大輔さん、外国では
エフゲニー・プルシェンコ選手、キム・ヨナさん、ユリア・リプニツカヤ
選手などをめぐっても同じでしょう。
規範への過剰適応
しかし、人はたいていの場合規範が要求する役割を演じようとするものです。
じっさいにどうなのかは知りませんが、羽生選手はいわゆる
「場の空気を読む」「自分の行動が他者にどう映るかがわかる」タイプの
人に見えます(といっても、これも私が勝手に想像している
「羽生結弦らしさ」にすぎません)。
こうした人は、規範に過剰に適応する傾向があるように思われます。
つまり、世間が要求している「羽生結弦らしさ」を必要以上に汲み取り、
内面化して、役割を演じようとする。しかし、規範と自分とのあいだに
乖離があれば、そこには当然ストレスが生じます。
明日に続く(とはずがたりさんより)
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この意識は「見られる」ことと本質的に同じです。
こんな書き方をすると、
「それは被害妄想とか視線恐怖症という病気じゃないのか」と言われそうですが、
もちろん病的であるかないかの程度はあります。それでも人は多かれ少なかれ、
意識的にせよ無意識的せよ、根源的なところでまなざしへの恐怖を抱いています。
まなざしと規範
さっきから「まなざしは怖い」とわめいてばかりいますが、本題はここからです。
他者のまなざしは自分を評価します。自分もまた他者をまなざしで評価します。
この評価は日々何度となく、なかば無意識のうちにくり返し行われることです。
こうして反復された評価は、価値の体系、価値観を作り上げます。
こうした価値観が多くの人に共有されると、それは規範になります。
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反映しています。
さて、これが日常生活ではなくアスリート、こと世間の注目をあつめる
スターアスリートとなるとどうなるか。
アイドルのように扱われるアスリートは、当然世間からまなざしの集中砲火を
受けます。もちろんそれが気分の昂揚をもたらす場合もあります。
ただし、世間がまなざしをアスリートに向け、評価するという行為は、
その反復のたびに規範や偶像を作り上げます。
スケートを例にとりますと、たとえば羽生結弦選手なら彼の過去の言動の
断片を評価、構成して「羽生結弦らしさ」という規範ができあがります。
そうして出来た規範は、必ずしも羽生選手自身の等身大の自己像と同じとは
限りません。何しろ、羽生選手のあずかり知らぬところでできあがった
規範ですから。
これは浅田真央選手や安藤美姫さん、高橋大輔さん、外国では
エフゲニー・プルシェンコ選手、キム・ヨナさん、ユリア・リプニツカヤ
選手などをめぐっても同じでしょう。
規範への過剰適応
しかし、人はたいていの場合規範が要求する役割を演じようとするものです。
じっさいにどうなのかは知りませんが、羽生選手はいわゆる
「場の空気を読む」「自分の行動が他者にどう映るかがわかる」タイプの
人に見えます(といっても、これも私が勝手に想像している
「羽生結弦らしさ」にすぎません)。
こうした人は、規範に過剰に適応する傾向があるように思われます。
つまり、世間が要求している「羽生結弦らしさ」を必要以上に汲み取り、
内面化して、役割を演じようとする。しかし、規範と自分とのあいだに
乖離があれば、そこには当然ストレスが生じます。
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